大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(ネ)537号 判決

一、証拠を総合すると、訴外船津健男は、著名な音楽家である控訴人の氏名を借りて音楽教習所を設立経営しようとして控訴人から音楽院の名称にその氏名を使用することの許諾を得、同人を音楽教師として招へいすると共に同音楽教習所の校長の地位に就任してもらい、ここに昭和三十一年の半ば頃右訴外人の経営する万城目正音楽院(鎌倉市大船町一八〇番地所在)なる名称の音楽教習所(法人でない)が設立されたこと、右訴外人は同音楽院の設備、経営資金の調達のため、昭和三十一年七月五日被控訴人ら主張の如き記載ある約束手形一通を作成し、割引のためこれを訴外松本一夫に交付したこと、同訴外人は右手形を竹中某を通じ被控訴人ら先代高野新次に裏書譲渡したことを認め得べく、同人の死亡により被控訴人らが共同相続し現に被控訴人らにおいて右手形を所持していることは当事者間に争ないところである。

右約束手形の作成者は右認定のとおり、訴外船津健男に相違ないのであるが、同人は右手形の振出人欄に「鎌倉市大船町一八〇番地万城目正音楽院、専務理事船津健男」と記載した。そこで右手形の振出人は(イ)船津健男個人であるか、(ロ)振出人本人は控訴人であつて船津健男は控訴人の代理人として手形の振出行為をしたものか、(ハ)、船津健男が控訴人の氏名である万城目正なる名義を使用し振出したものかについて争があるので以下この点につき検討する。

案ずるに、証拠を総合すると次の事実を認めることができる。

訴外船津健男は音楽評論家であるが昭和三十一年五、六月頃前記の如く著名な音楽家である控訴人の援助を得て音楽教習所を設立しようと考え、控訴人に依頼した結果控訴人が校長として教育方面の事務を引受け、音楽教習所の名称を控訴人の氏名を冠した万城目正音楽院とすることを承諾した。そこで船津は資金の調達を始め経営面の仕事はすべて同人がこれを行うこととし、教習所の校舎とするため藤橋春六所有の鎌倉市大船一八〇番地の建物を同人から借受け、万城目正音楽院を設置して経営を始めた。本件手形は右音楽院の資金を調達するため訴外松本一夫のすすめにより船津健男が作成し松本に交付したものであるが、右松本は、同音楽院の経営者は船津健男で右手形は船津個人が振出し、控訴人は何ら関与していないことを知つていた。しかし手形の形式として船津健男の氏名のみを振出人とし自署するより、万城目正音楽院のゴム印が押されている方が割引のため好都合であると申向けたので船津は同音楽院の所在地を記し、右音楽院のゴム印を押して、これを自己の勤務する場所として表示し、なお同人は音楽院の事実上の設置者乃至経営者として当初から専務理事の名称を用い、又横浜興信銀行大船支店にも「万城目正音楽院専務理事船津健男」と届け出て同人の預金口座を設けていたところから、専務理事の肩書を附して記名捺印した。その後万城目正音楽院については昭和三十二年四月十日設置者を藤橋春六とし、控訴人を校長として学校教育法第八十三条の規定による認可の申請をし同年六月十八日右認可を得た(この事実は当事者間に争がない)が現実の設置者乃至経営者は終始船津健男であり、控訴人は教育面のみを担当し、他の職員らと共に船津から報酬を支給せられる関係にあつたもので、本件手形の振出についても何ら関知していなかつた。以上の各事実を認めることができる。

これらの事情からすると本件手形の振出人は学校教育法第八三条に所謂各種学校である万城目正音楽院の事実上の設置者でありその経営者たる訴外船津健男個人であつて、同人が控訴人を代理して振出したものとか、また同人が控訴人の氏名を使用して本件手形を振出したものとか認めることはできないのである。

そして以上の各事実関係を考慮すると本件手形の振出人として「住所 鎌倉市大船一八〇番地 万城目正音楽院専務理事 船津健男」と記載されていることは本件手形振出当時はいまだ準各種学校(学校教育法第八三条、第八四条参照)であつた万城目正音楽院の設置経営者である船津健男を法律上表示しているものと認めるに十分である。或は右摘示の記載は一見「万城目正音楽院」が法人格を有し船津健男は専務理事としてその代表者の資格で署名捺印したとの印象を与えるかも知れないが、仮にその表示が客観的に斯る印象を与え且つ船津がその意味に於て署名捺印して振出したと仮定するも、既に認定の如く「万城目正音楽院」は何等法人格を有するものではないから、結局事実上の振出人たる船津個人が振出人としての責任を負担する結論になることは勿論と謂うべきである。

二、また、前記各証拠によると、控訴人は訴外船津健男が本件音楽教習所を経営するについて控訴人の氏名を冠した万城目正音楽院なる名称を使用することを許容し、同訴外人は右名称を附して設立趣意書を作成頒布し、生徒を募集し、諸通知書を発していたことが明かで、控訴人の音楽家としての名声は社会周知のところであるから、その氏名を挿入して「万城目正音楽院」と称することは音楽教育の施設として世間の信用を得ることは勿論である。しかしその名称の示す如く「万城目正音楽院」は音楽教育を目的とする学校的設備(準各種学校、各種学校)であるところ、一般に学校はそれ自体人的及び物的設備の全体を示す所謂営造物乃至営造物類似の施設を意味し設置者乃至経営者個人とは別個のものであるから、「万城目正音楽院」という記載が控訴人(校長)個人を表示しているものとは解し難いのみならず(従つて本件振出人の表示を控訴人本人を代理したものと解することを得ない)、学校は営業の主体として取引を為すものではないのであるから、本件に於いて控訴人が自己の氏名を冠らせることを承諾したことは商法第二三条に所謂「自己の氏名を使用して営業を為すことを他人に許諾した」ことに当らないと解するを相当とする。

また既に認定したところからすれば控訴人が本件において自己の氏名を音楽院の名称に用いることを承諾したことは民法第一〇九条に所謂第三者に対して他人に代理権を与えた旨を表示した場合に当らないのみならず、本件手形振出人が控訴人であり同人を船津が代理したと解することも困難であるから民法第一〇九条を援用して控訴人に本件手形金支払の責任ありとする被控訴人らの主張も失当である。

三 かりに本件手形振出の表示を船津が控訴人の代理人名義をもつて本件手形を振出したことにあたるとし、被控訴人ら先代高野新次郎において右船津に代理権ありと信じて訴外松本一夫から手形の裏書譲渡を受けたとしても、手形受取人たる右松本は船津に右代理権のないことを知つて本件手形の交付を受けていることが明かであるから控訴人は被控訴人らに対し本件手形金の支払義務ないものとなさざるを得ない。蓋し民法第一〇九条あるいは同第一一〇条の表見代理人が約束手形を振出した場合本人に振出人として責任を負担せしめるためには手形受取人において右代理権ありと信じたことにつき過失なきことを要し、たとえその後の手形取得者が右代理権ありと信ずるにつき正当の理由を有しておつたとしても右各法条の規定を適用して本人に手形上の責任を負わしめることを得ないからである(最高裁昭和三六年一二月一二日言渡判決集一五巻一一号二七五六頁参照。)

(鈴木忠 谷口 加藤)

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